病は自らに課した「生きる」ためのチャンス

宮崎ますみ  宮崎ますみ (女優・㈱ヒプノウーマン代表)

私は乳がんを患って、病は自らに課した「生きる」ためのチャンスであると気づきました。なぜ今病を与えたのか?その大いなる魂の目的を知り、愛の導きに委ね従い生きる時、人は真から癒され救われる、ということを知りました。それを知るためのツールとして、私は本格的にヒプノセラピーを学んだのです。私たち人間の本質は宇宙そのものです。その本性を覆い隠すイリュージョンをいかに自主的に拭い去っていくか。その鍵を握っているのは自分自身なんですよね。

「言葉」と「思い」が自然治癒力をONにする!

おのころ心平  おのころ心平 (一般社団法人自然治癒力学校代表)

僕の生涯のテーマは「病院空間」と「日常生活空間」とをもっと風通しのよい状態にすること。これは、僕自身の幼少期の入院生活体験が大きく影響しています。長い入院生活の中で、僕はある尊敬するスポーツ選手の励ましによる奇跡的な治癒を体験しました。隔離された病院の中での日常からの最高の贈り物によって命を救ってもらったのです。言葉と思いによって自然治癒力がONになる…この体験こそ僕にとって、ホリスティックなめざめの瞬間でした。

病を得て深まるいのちへの気づき

はやしひろこ  はやしひろこ (ホリスティックアロマセラピーケアルームつむぎの森主宰)

25年前の慢性疼痛を伴う病気の経験が「ホリスティック」に出会うきっかけでした。知識に頼った生活から一転、植物を用いた手当てやからだとの対話を行い、田畑を耕し、山に登り、大地に寝転ぶ生活を送るなかで「息・食・動・想・環」を大切にする生き方を意識するようになりました。屋久島の森をテントをかついで歩いたとき、満点の星空の下で「わたしを構成しているものはすべて、この地球と宇宙だ」と発見したことが、本当の意味でのホリスティックな生命観への気づきになったと感じています。

ホリスティックとは「生と死」超えるもの

安珠  安珠 (Earth Spiral 主宰)

ホリスティックという言葉を知ったのは、15年余り前、父の癌との闘病が始まった頃でした。その頃はボディ・マインド・スピリットがホリスティックでした。その後、アロマセラピストとして10年経った頃、自然とのつながりが希薄な自分に違和感を感じ、自然の中での人間らしい暮らしを目指しました。3.11の震災後、矛盾した世界を生きる今は、生と死、善と悪など二元論を超えて初めて実感できるものだと思っています。

ホリスティックな経営

萱場裕  萱場 裕 (株式会社福祉工房取締役)

私が電機メーカーの技術職から病院営業職を経て、大学の関連会社を立ち上げたのが15年前、ちょうど協会に出会ったのもその頃で、会社を軌道に乗せるために奔走していました。ビジネスにホリスティックを見出したのは10年ほど過ぎた時でしょうか。損得では計れない取引を経験し、組織を超えて喜び合える仲間を得た時、世の中でのこの会社の役割、自分の存在する意味が見えたように思います。別々だったビジネスマンと協会会員の自分が、自然にひとつになった瞬間でした。

ホリスティックに携わる一員として

菊池リサ  菊池 季咲 (健美操・ゆる体操指導員)

私は、所謂一般人から、健美操という健康づくり体操指導員として、ホリスティックに携わる一員としてスタートしました。以後、より心と体に良い事を人々にお伝えしたい思いから、生活習慣病予防指導士、ゆる体操指導員、そして直接身体にアプローチする足圧施術と活動の幅を拡げ、今日に至ります。私にとってホリスティックとは、一辺にとどまらず、心と体に良いとされる事をあらゆる方面から、自分自身そして周りに問いかけていく事です。ホリスティックが、もっと世の中に周知される様、これからも、日々自らが学び、それを伝えていきたいと思います。

自然からの贈り物に励まされて

山本勇人  山本勇人・山本結子 (山本歯科医院)

育児に疲れ果てていた私たちは、小さな子供たちと手をつなぎ、深秋の森に入っていきました。そこは公園の少し奥まった場所にあって、ふだんほとんど人の来ない秘密の場所です。木々は紅葉で美しく色づき青空が広がっていました。すると突然、風もないのに木々から一斉に色とりどりの葉っぱが、さらさらと音をたてながら、絶え間なく紙吹雪のように降り注いで、気づくと私たちは五色の絨毯の上に至福に満たされ立ちつくしていました。
ホリスティックな価値観の学びを深める中で、アメリカインディアンの教えに出会いました。私たちは地球という大きな織物の小さなより糸にすぎないこと。地球が人間に属しているのではなく、人間がいのちの入り組んだ関係を織ったのでもないことを。この地球に人がどう生かされているか本当の意味を知れば知るほど、自分の身体と大いなる自然に対してますます謙虚な心に導かれます。私たちに思いがけず与えられた恩寵の体験でした。

樹々と石と私〜地上でともに生きるいのち

遠藤園子  遠藤 園子 (HolyWhole主宰・クリスタルボウル奏者)

ホリスティックという言葉にはいろいろな意味があることでしょう。私たちは大いなる全体の中で共に生かされている存在である、という認識もその一つだと思います。生きるのがつらかったこども時代、家族が寝静まった家を抜け出し、空を見上げて「どうして生まれてきたんだろう」と涙とともにつぶやいた夜。静かな樹々から聞こえた「見ているよ、いつも見ているよ」という樹木たちの声が、この地球で共に生きる存在を感じた最初でした。もしかしたら、後年の鉱物の楽器であるクリスタルボウルとの出逢いは、その時から始まっていたのかもしれません。

これからも、ますますホリスティックに!

久保田泉  久保田 泉 (生活習慣病予防指導士・アロマセラピー講師)

ホリスティック医学に出会えたことで、私は仕事も変わり、暮らしぶりも変わり、何より心が楽になりました。そして、以前よりやさしくなったような気がしています。とは言え、まだ一歩を踏み出したばかり。私を待ち受けるのは、さらに奥深い世界です。かつての当たり前が崩れ去り、新しい価値観が生まれる気持ちのよさで、私の毎日はさらに充実したものになることでしょう。というわけで、私の軸の一言は「ホリスティック」に決定です。

パニック障がいは愛のメッセージだった

則武謙太郎120  則武 謙太郎 (株式会社ジーエスシー代表)

26歳の時に突然パニック障がいになり、人生が真っ暗になりました。その当時は、「病気=自分を苦しめているもの」としか考えられず、必死に治す手段を模索しましたが、うまくいきませんでした。しかしある時、大切なことに気づきます。病気である自分自身を否定していたのは、他の誰でもない、自分自身だったのです。良い自分だけを受け入れ、都合の悪い病気の自分は排除したいという怖れの中に生きていたのです。これに気づいてから、どんな自分でも存在する価値があるんだという愛を選択するようになり、長年抑圧していた感情を解放するきっかけになりました。病気は愛のメッセージ!これが、ホリスティックに目覚めた瞬間でした。

人にはそれぞれ、コンフォートゾーンがあります

岡田俊一  岡田 俊一 (健康塾真愈整体学院院長)

心身は本質的には、外からの刺激に対しては否定し拒否をします。全てのストレッサーを、受け入れ親和していくことができれば、手段にこだわらなくても、繋がっていけるのではないかと考えます。その瞬間「場」は変わり、それは空気感として感じることができます。アプローチは手段が大切なのではなく、関係性を考えた関わり方が重要です。相手も自分も気づいていない、意識の深い部分を共有していくことが必要だと思います。

生涯ホリスティック

山本竜隆氏

 

 

 

山本竜隆
(朝霧高原診療所・昭和大学医学部客員教授・WELLNESS UNION代表)

ホリスティックな医療や生活、社会への憧れは学生時代のラグビー部での怪我から始まり、現在も一段ずつ、その奥深さを感じながら歩んでいます。最初の目覚めからみると、より大きいホリスティックな環境に身を置きながらも、新たな発見の日々が続いています。私にとってのホリスティックは、終わりがなく生涯探求するもの…広く深く慈愛に満ちた世界であるように感じています。毎日を一生懸命に生き、人や自然との関係性に感謝するなかで、ホリスティックの意味を教えられ、気づかされているように思うのです。これからもホリスティックをしっかりと探求していきたいと思います。

人と自分のつながりが私の人生を奇跡のように変えた


 

 

誉田和子(会社経営・仙台ホリスティックヨガ塾主宰)

幼少のころは今とは違い神経質で、10代から生きることの葛藤が生じ、亡母の縁でヨガに出会い、普通に東京で仕事をして、30歳になってからヨガに魅せられ必死に取り組みました。その結果次から次へと人のご縁が繋がり、平成9年に後の日本ホリスティック医学協会仙台支部を立ち上げるきっかけになった、ホリスティックフォーラムのメンバー主催で、帯津先生や、他3名の講師を招いてホリスティック医療のシンポジウムを行ったことが、このホリスティックな生命観に目覚めたきっかけです。その後平成10年に仙台支部メンバーとして活動しはじめ、様々な個性的な異業種のメンバーと出会い、その考え方の違いにぶつかり戸惑ったこともありましたが、今ではかけがえのない財産になっています。結局人生の半分は、ヨガとホリスティックなライフスタイルの提案をしてきたような気がします。それにより自分自身の居場所を見つけ、今後もホリスティックなライフスタイルを伝えていけたらと考えています。

ホリスティックは続くよ、どこまでも


 

 

有本匡男(ワールドシフトコミュニケーター)

明確に「今、ホリスティックに目覚た!」という瞬間はありません。まだまだホリスティックを深めている途上ですし、おそらくずっと続いていく、あるいは実はもう目覚めきっているかもしれません。
産まれ落ちた時から、あるいはもっと前から、今まで生きてきた、いや実は生かされてきた中で、様々な関係性に気づき、少しずつ、ホリスティックな価値観が、腑におちるように体に、心に染み込んできた、あるいはそれこそ眠りから覚めたように思い出してきたように感じます。あえてややこしい書き方をしたのは、ピープル宣言にあるように「よりよい生き方を目指す」、「”自分”で創造する」という言葉を考えてみると、「よりよいって何だ?」、「自分って?」とどんどん哲学的に言葉に絡め取られていきます。しかし、これこそまさに「ホリスティック」という本質の探求の中で生まれた言葉に迫ることだと考えます。
東洋的な「私はあなたであなたは私、宇宙の一切も私である」という全てと同一化する感覚と、西洋的な「かけがえのない私」という個を大事にする視点がどちらも矛盾なく存在する、そして存在しないとも言える、美しい世界で完全な存在として、皆で遊びましょう。