「ホリスティックヘルス」 の視点 医療者座談会

~ホリスティック医療を実践するドクターが日々の診療を通して感じていること、「ホリスティックヘルス塾」への期待などを語っていただきました。
『HOLISTIC NewsLetter Vol.91』2015.6月号より

<進行役> 降矢英成(赤坂溜池クリニック院長)
<発言者> 西谷雅史(響きの杜クリニック院長)/阿部洋子(薬剤師)/愛場庸雅(大阪市立総合医療センター耳鼻咽喉科部長)/樋田和彦(樋田耳鼻咽喉科院長)/船戸崇史(船戸クリニック院長)/堀田由浩(統合医療希望クリニック院長)/黒丸尊治(彦根市立病院緩和ケア科部長)/木村   泉(清仁会洛西シミズ病院副院長)/宮里文子(アロマセラピー学会認定看護師)

 

自身にとってのホリスティックヘルスとは

 

Dr.降矢:今回は3つテーマについてお話いただこうと考えています。1つは「ご自身が考えるホリスティックヘルスとは」、2つ目が「事例や診療していて感じること」、そして3つ目が「ホリスティックヘルス塾に期待すること」です。特にホリスティックヘルス塾は協会として進めていくことになりましたので、それを踏まえてお話しいただきたいと思います。では、1つ目のテーマから順番にご発言願います。

Dr.西谷:医者は病気を扱うわけですけれども、真に病気を治そうとしたら、その根底にあるものを治していかなくてはいけないと思うのです。そう考えると予防医学につながっていく。ホリスティックヘルスも、やはり医者が中心となってやらなくてはいけないというのが、私の考え方です。ホリスティック医療には、西洋医学の医者といろいろなセラピストが関わりますが、コーディネートできる人間がいないとまとまりません。

私はコーディネートできる医者になりたいという思いでずっとやってきて、いわゆる代替医療といわれるものをまず自分の体で体験して、ある程度分かったものを取り入れています。患者さんを目の前にした時に、西洋医学でまずはここまで治したほうがいいとか、別のアプローチをしたほうがいいということを、自分の中で判断して進める統合医療医、そういうホリスティックヘルスの統合医療施設を目指しています。

薬剤師・阿部:私の場合は東洋医学を頼りにしてきました。全体をつかむ技術では東洋医学が優れており、理論が確立しているので、そちらを主体に患者さんを診ていますが、心理カウンセリングの勉強もしています。カウンセリングという看板を出してやってみますと、体に原因があっても、心の問題のほうをどうにかしたいという方が来ますし、漢方薬局をやっていますと、心に問題があっても、体の問題をどうにかしたいという方が来ますので、看板によって来る方と療法が違うというジレンマがあります。
治療していくに従って、健康指導は絶対必要になってきます。保険調剤薬局では時間が足りなくてできませんでしたが、漢方薬局では1人に1時間くらいかける健康指導が可能なので、その面では非常に助かっております。

Dr.降矢:漢方、東洋医学的なものが、ホリスティックな視点で健康指導を行う中心になっているということですね。では、愛場先生は?

Dr.愛場:ホリスティックという言葉の意味でいうと、多様な価値観を理解できることが大事な要件かなと思っています。代替医療にしろ西洋医学にしろ、その方法論などをある程度理解したうえで、それぞれの存在価値を認めるのが、ホリスティックな考え方ではないでしょうか。多様な見方があることを理解し、全体を俯瞰して見ることができる、そんな視野を持っているようなイメージ。だから安易に他を批判するのは、ホリスティックじゃないなと思いますね。
また「病気の意味や価値」というのが、ホリスティックを語る上でキーワードになっているのではないかと思います。単に西洋医学と代替医療を寄せ集めただけの統合医療といわれるものと、ホリッスティック医療と違うところがあるとすれば、病気に関する考え方でしょう。その違いは大きいと思っています。
加えて、例えば日本人は恵まれた医療環境の下で、生活習慣病がどうのこうのと言っていますが、アフリカに行けば、予防注射すら受けられない子どもたちがいっぱいいるわけです。そういう意味でも、ホリスティックヘルスという考え方には、グローバルな視点というのも必要なのではないかと考えています。

 

「病気も健康のうち」なのか

 

Dr.樋田:私は、ホリスティックヘルスの基本として橋本敬三先生の操体の快感というか、原始感覚がとても大事だと思います。野口晴哉先生の活元運動的な、要するに動物的な健康法。しかしながら、これはその人その人のものであって、一律に決められるものではないでしょう。
総合的に見ると「病気も健康のうち」ではないかと。治らないほうがいいから治らないのであって、治癒の条件が揃うための協力はしますが、やはり治る・治らないというところは、ご自身の問題が多分にあるのではないかと考えています。

Dr.船戸:私にとってのホリスティックヘルスを、事例も若干絡めてお話すると、実は私はがん患者なんですよ。そのことから改めて思ったことなのですが、ホリスティックもヘルスも、もともと語源は同じ「ホロス(全体)」ですから、ヘルス塾は「全体丸ごと」ということに気づく塾だと思っています。本来我々はひとつで、多様性があって当たり前だし、それでいいということに気づくことが大事ではないかと。
ただ「病気も健康のひとつ」というのは、私にはちょっと違和感があります。病気は絶対アラームだと思います。本来のその人の生き方から外れた分、体が修正をかけていると私は認識しています。ですから、病気になった時のほうが、アラームが鳴っていますから、気づきやすい。健康を真剣に見出すためのきっかけが、病気ではないかと。もともと体は間違いを起こさないという大原則があると、私は思っています。だから、何か間違いを起こしたから、自然治癒力が阻害されたと、病気が出てきたというふうに私は認識しています。

Dr.堀田:皆さんの意見は勉強になります。その人が生まれてきて、最高な人生の結果を得るための情報として健康法があるわけですが、治し方がたくさんある中で、何が自分にとっていいのかということを勉強して、あるいは周りに広げられるような、正しい情報を勉強する場としてホリスティックヘルス塾がある。そういう意味で本当に価値があると思いました。

 

大切なのは心地よさとつながる実感

 

Dr.黒丸:もちろん健康を考えるのは重要ですが、結局それを実践するのは本人ですよね。本人がどういうふうに現実を理解するか、自分自身をどういうふうに捉えるか、という部分が大切だと思うんですよ。
例えば、玄米菜食が重要だと思っていたとしましょう。もしその人が、これをやらなければ健康になれないという、ひとつの強い思い込みで実践する中で、たまには他のものを食べたいなという自然な気持ちを押さえてやっているとしたら、僕からするとこれはちょっと違うなと思うんですね。というのは、これでなければならないとか、こうすべきだ、ああすべきだという思いにとらわれてしまうと、結局がんじがらめになってストレスが溜まり、いいものであるにもかかわらず病むという状況が起こると思うのです。これが正しいとか、これをやるべきだというような発想ではなくて、自分にとって一番心地よいというところに焦点を当てて、いろんなものを取り入れていく、実践していくという視点が僕はとても重要だと思っています。

Dr.木村:結局、その人が一番快適に生きていけることが、やはり大切でしょう。私は一般内科医ですから、いろんな人が来ます。慢性疾患の場合は超高齢者も多いですよね。そんな患者さんには「あなたはどうしたいのですか。いくつまで生きたいですか」と聞きます。そして、それに沿って治療をしていきます。血圧が高い人は下げますし、糖尿病も血糖値のコントロールはしますけれど、高血圧なら高血圧で「そもそもなぜ、高血圧があると思いますか」という話をします。本来、体に備わっている生き延びるためのシステムと現代の食生活の話とか、ですね。そうすると今の時代、どうしたらいいいか分かるでしょうということで、運動療法や食事療法につなげていくと。

看護師・宮里:私は看護師としての経験から話します。最初に勤めた病院は透析病院でした。透析の患者さんで、バナナをたくさん食べるとカリウムが上がって心臓が止まってしまうことを知っていて、そうやって自殺未遂のように何度も救急で運び込まれる患者さんがいました。先生やスタッフは、患者さんを叱るのですが、ある時、なぜそこまでして食べてしまうのかという、その人の気持ちに寄り添うことが欠けていることに気づいたんです。不安で将来への希望も持てない、だから繰り返してしまうんだなって。
ホリスティックヘルスとは、私の中では孤立させないというか、つながりというか。医療ともつながっていくし、社会ともつながっていくし、家族ともつながっていく。いろんな意味で1人じゃないというところで支え合うことだと思っています。

 

診察していて感じること

 

Dr.西谷:私は患者さんを診る際、まずその人にそういう理解があるかどうかを見極めます。患者さんにとって病院は病気を治してもらう所なので、いきなり「病気はあなたに原因がある」と言われても、「何を言ってるんだ」ということになります。ただ、うちは統合医療を掲げているので、最近は本当の原因を突き止めて、何とかしたいという患者さんが増えてきています。

Dr.堀田:最近、がんの患者さんが多くなり、食事療法などもやるのですが、病気によってさまざまで、どうしていいか私もまだ迷っているような状況です。それでも劇的に病状が安定したり、治ったりする人がいるので、最先端の医療から心の問題まで、いろんな提案ができるようにしたい。同時に患者さんがもっと意見が言ってくれたらいいと思います。「お任せします」という人がまだまだ多い。普通にホリスティックな視点で考えられるような情報を、もっともっと発信しなくてはいけないなと思っています。

Dr.船戸:医療者にとって一番重要なことは寄り添うこととか共感力とか言いますけれど、所詮他人事なのですよね。だから、自分ががんになってみる、これ、いいなと思いました(笑)。「オレもがんで手術したよ」というと、患者さんが一気に私を友達にしてくれるんですよ。やはり患者さんにとっては、満身創痍の医療者が一番いいんです(笑)。

Dr.愛場:僕が勤務しているところは高度急性期医療の保健診療しかやらない病院なのですが、最近ちょっと風向きがホリスティックな方向にいっているかもしれない。というのは、例えば、厚労省が音頭を取って、「がん拠点病院ではがんが見つかった時点からの緩和ケア」と、心の問題にもようやく踏み込むようになった。実際どこまでできるか分からないですが、患者医療支援センターなどが設置されて、本当に少しですけれど、全人的な取り組みが始まったのではないかと。患者医療支援センターの中に代替医療相談コーナーを作る提案をしているのですが、けっこうニーズはあると思いますよ。

 

ホリスティックヘルス塾について

 

Dr.降矢:いいですね。最後にホリスティックヘルス塾について、テキストは第1章が序論で、第2章がホリスティックという言葉について、第3章が実践編です。内容は健康についてですので代替療法などの治療法ではなく、「ライフスタイル」に焦点を当てています。

Dr.西谷:第2章でホリスティックを解説しているのは、すごくいいですね。「全体的に見る」というところで、一般の人にも分かりやすく説明している。ホリスティックに生きるためにどうするか、難しいことは言っていないですし、順序立てて書いてあって、すごくいいと思います。

Dr.堀田:ホリスティックの意味を分かってもらうために、非常に基礎的に書いてあると思います。あまり偏ってもいないし、個別なものに執着していない。ワイル博士の考え方も入っていますし、基礎的なものとしてはいいかなと思います。

薬剤師・阿部:東洋医学に身を置いているので、その視点から言うと、「東洋の伝統的ないのちの捉え方は、もともとホリスティック」と書いていただいていますが、実際の現場では実はいのちのお話をする機会はあまりありません。
船戸先生がおっしゃっていたように「こういうアラームが出ていますよ」ということを繰り返し、繰り返し伝え続けて、やっと分かっていただけるという感じなので、この「いのちの捉え方」というのは哲学であって、現場はちょっと違うなと思いました。

Dr.黒丸:僕は心に関心があるので、そういう部分に目が向きます。つながりや関係性はその人の心の状態に非常に影響を及ぼすもので、医療や健康、ヘルスには絶対はずせないと思っているので、それがもっとクローズアップされてもいいかなと思いました。

 

病気があっても自分らしく生きることを目的に

 

Dr.船戸:テキストは私もすばらしいなと思います。でも、がんの患者さんに第3章のような話をしても、「それで先生、何してくれるの?」と言うんですよね。目に見える何かを期待して、医療行為をしないと納得してくれない人もいます。
けれど、自分ががんになって思ったことは、がんで人は死にますが、がんが治ってもいずれ人間は死ぬということです。そのうち西洋医学だろうが何であろうが、医学はすべて手段でしかないなと思うようになりました。ホリスティック医学もホリスティックライフも、結果的に手段ではないのかなと。
では、目的はいったい何だろう。それが第1章の初めにある帯津先生の言葉です。「ホリスティックヘルスとは“いのちのときめき”」と書いてある。ホリスティックヘルスの目的というのは、いのちのときめきを感じて生きること、まさにその人らしい人生を自分らしく生きること。そこに行きつくためには「西洋医学ではなく、ホリスティックな医療というのが最も自分らしい人生の目的を気づかせてくれるアプローチなんだよ」ということがテキストから読み取れるわけで、組み立てとしてはすごく分かりやすいと思いました。

看護師・宮里:テキストは患者学も入っていて、すごくいいです。医療者の中にもホリスティック医療に携わりたい、そういうことに関わって働きたい、伝えたいという人はたくさんおられます。そんな人たちにこのテキストを手に取っていただきたい。どんどんホリスティクヘルス塾に参加してもらい、これを機にナース達が元気になり、医療の中身が変わることを期待しています。

Dr.降矢:最後に樋田先生、お願いします。

Dr.樋田:医療関係の方に見ていただくには十分じゃないでしょうか。これを機会にさまざまな視点が開けてくるといいですね。

今、健康ということがあまりにも強調されてしまって、過敏に考え過ぎているところがありますね。健康は病気でない状態という話になると、病気をすべて否定することになってしまう。でも、我々の体が完璧だなんてことはありえないわけです。それよりも「したたかにどう生きるか」「病気があってもどう生きるか」ということを、私は自分の病気から学んだような気がします。だから、ひとつのきっかけとして、一般の方もこういうものを読んで、そこで何か疑問を感じた時がスタートだと思うのです。気づきが起きた時に、健康も病気も本当に自分のものになってくるのではないかと思います。

Dr.降矢:ありがとうございました。これで締めさせていただきます。皆さん、お疲れ様でした。